下午8点? 晚上8点?

日本語では「午後8時」ってふつうにいうけど、実は日没後は「晚上」の方がしっくりくるみたい。

aiharamao.seesaa.net

じゃあなんで「下午8点」はダメなのかというと、↓のサイトには「下午」の説明が

「正午から日没まで」とちゃんと理由が書いてある!

www.imasugu-chinese.net

开始VとV起来

↓ このブログがいちばん分かりやすいかも!

 

chinese-angel.jugem.jp

 

 

 

blog.goo.ne.jp

 

aiharamao.seesaa.net

PDF 中国語における「開始義」について
― 方向補語“起来”の用法を中心に ―

https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjD0_HupYb0AhXSc94KHVxVDp8QFnoECAMQAQ&url=https%3A%2F%2Fnagoya.repo.nii.ac.jp%2Frecord%2F8374%2Ffiles%2Fmaruo.pdf&usg=AOvVaw2FLVXz7MrR4GbA9KdftJzs

 

VV

https://aue.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=7667&item_no=1&attribute_id=15&file_no=1

 

~~起来の表す意味

https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwizttOwpob0AhUUA4gKHQX8AfoQFnoECAQQAQ&url=http%3A%2F%2Frepository.tufs.ac.jp%2Fbitstream%2F10108%2F23517%2F1%2Facs042009.pdf&usg=AOvVaw2v7uewkZGZ0bMVFuJAUpFZ

 

中国語の起動相について “开始”“起来”文法的使分亡意味的分析 ...

https://www.jstage.jst.go.jp/article/chuugokugogaku1955/2004/251/2004_251_114/_pdf/-char/ja

 

kotobank.jp

お気に入り短歌

この日付の朝日新聞朝刊「歌壇」より

 

・取り込みし布団へ駆け寄り猫転(まろ)ぶ陽の香懐かしきや外出(そとで)させぬ猫(岐阜市 木野村さん)

・扇風機自らつける技を得て猛暑の夏を猫は乗り切る(さいたま市 齋藤さん)

 

室内飼いのねこのかわいさとかしこさ。そのうちクーラーの付け方も覚えるかも???

「コーダ」を通じた気づき

この日付の朝日新聞朝刊より

www.asahi.com

 

コーダとは聞こえない親をもつこどもたちのことだという。彼らとのふれあいを通じてみたことをつづった内容だが、特に

 

手話と日本語のバイリンガルという視点でみると・・・

 

 

 

から始まる考察がはっとした。

・音声言語では不可能な「二つの言語を同時に発する」ということは、手話と日本語ならできる。

・けど、口と右手と左手で、「かわいい」「茶色の」「犬」を同時に言うことはできない。音声と手話で表現する内容はほぼ同じになる。

という。

 

歌の翼に

歌の翼に

・ドイツ語 Auf Flügeln des Gesanges

・英語 on wings of song

・中国語 乘着歌声的翅膀

 

 

 

●バイオリン譜面

toplayalong.com

 

1827 ハイネ「歌の本」

1836 メンデルスゾーン「六つの歌」作品34の第2曲

 

ハイネにとって、インドはどのようなイメージだったのだろう。

当時は、ムガル帝国末期、東インド会社に侵食されていた。

 

 

●木村高明 批判とユートピア―H.ハイネの思想のアクチュアリティー

http://nda-repository.nda.ac.jp/dspace/bitstream/11605/95/1/1-1.pdf

6頁

もちろん、だからといって、ハイネは、ポーランドの現状はこのまま放置し
てよい、などと考えているのではない。むしろ、この国の、とりわけ民衆の「解
放」( Emanzipation)はいわば最重要「課題」のひとつではある7

注7) 当時ハイネの念頭にあるのは、なによりも圧政と抑圧に苦しむ人々の「解放」であった。
「われわれの時代の大きな課題な何か。それは解放である。アイルランド人、ギリシ
ア人、フランクフルトのユダヤ人、西インドの黒人の解放はもちろん、(....)全世界、
とりわけ今や青年に達したヨーロッパの解放である。」(B 2. 376f