ボールの持ち方とパフォーマンス



2010年8月24日朝日新聞夕刊
 戦士のほっとタイム 由規プロ野球選手・ヤクルト)
 次に泣くのは優勝の時


この記事にも載っているけど、前月(7月)に
日本人最速タイ記録の球速158キロをマークした由規


家の人によると、神宮のスピードガンがなんやかや、らしいですが、
にしても、あんなブログを書いてるのにこんなに速い球が投げられるなんて
ほんとうに素晴らしいと思います。


それについてのインタビュアーの武内絵美の質問に対し、
由規は、コーチの助言を得て、握り方を変えたことを話していました。


新しい浅い握りは、最初こそ違和感があってキャッチボールすらできなかったが
そのうち、違和感が消えると、
「浅く握れば指先にかかる力が大きく、余分な力が入らない。
リリースの瞬間だけスピンを利かせられる」ばかりか
「マメもできないし、ボールの質も変わった」と述べています。
その延長上に、あの球速があったわけですね。



しかしあらためて考えてみると


由規は間違った握りのままでも、プロとして十分に活躍できる実力があり、それを発揮していた


ということですね。
さらに敷衍してみると、スポーツであれ、音楽であれ、


・方法が間違っていても、活躍できる人がいる。


ということであり、だからこそ、たとえば自分があこがれているような、
目標にしているような人でも、そのやり方、とくに身体の使い方は
間違っているという可能性があるわけです。
(テニスの錦織くんの例もありますしね。)



たしか、アレクサンダー・テクニークに関する本のなかでも
そういう記載があったはず。またみつけたら、自分のためにも
補足しておきたいと思いますが。



そして改めて、プロや一流の人でも、そういう新しい気づきがあり、
ただでさえ優れた能力をさらに進化・深化させていっていることを鑑みると、
私みたいな凡人は、もっともっと努力し、しかもその努力が
正しい方向の努力であるかどうかの厳しい検証が必要だなと思うわけです。